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2011年11月5日土曜日

釜石市 鵜住居保育園 お届けしました。

山越えの景色1

山越えの景色2

釜石市 市街1

釜石市 市街2

鵜住居町1

鵜住居町2

鵜住居町3 奥に海が見えています。

さんあいセンター付近

さんあいセンター付近


表で先生と縄跳びしたり、シャボン玉をしてました。


内陸から、山を越え、仙人峠の長い長いトンネルをくぐり、釜石市へ入りました。
市街でも未だ、信号が機能していない区間があり、警察の方が誘導しています。
釜石市は、商店街が流されていて、建物は存在していても、中はガランと吹き抜けている状態です。
市街を抜けて山を抜けると、鵜住居町が見えてきました。
やはり海が近いので、見渡す限り何もかも津波で破壊されているようでした。
 
<鵜住居保育園>

津波がくる為、近くの山にある石屋さんに園児さんを抱えて避難されました。
しかし、石屋さんで一晩は過ごせない為、その後釜石市の小学校に避難したそうです。
小学校は避難所となり、そこで3日間園児さんと過ごしたあと、やっと保護者の方が迎えに来られたそうです。
そのあと、やっと先生方も
"家に戻れる!まず、保育園に置いて来た荷物や車を取りに行こう"
と思い、戻ると何もかも流されていて瓦礫の山で・・・。とおっしゃっていました。
保護者の方も、瓦礫をよけながら長い時間をかけて小学校まで園児さんを迎えに来られたんだとその時思ったそうです。
鵜住居は、小さい漁港があり、漁港でお仕事されている方も多いため
やはり、漁業の仕事に戻りたい そんな思いもあり、一時鵜住居を離れていた方も戻って来られているそうです。
漁港は、僻地にあるため、震災時孤立し、働いていた方は、山に逃げました。
何日かして、自衛隊のヘリで山の上から救助されたそうです。
震災前80名いた園児さんも内陸に引っ越されたりで今は40名ほどだそうです。














畳の部屋は、年少さん。乳児のお部屋です。
80cmを着て頂いた女の子がここにいます。
先生に、「さっき80cmのモデルになってもらったんだって?ちゃんとモデル歩きできたかな?」なんて
笑いながら女の子に話してました。


このさんあいセンターというところで再園されていらっしゃいます。
 
鵜住居保育園の斜め前に仮設住宅が並んでました。


その隣には、郵便局。まだ開設されてません。
震災から半年以上たっても町にお店がないのが寂しいなと驚きました。
保育園の先生が、ローソンが出来るんですよってうれしそうに話されてたのはこのことだったんだって。思いました。


そして、帰り道、まだ出来ていないローソンが仮設で準備してました。


うのすまい保育園 跡地
 
震災前の鵜住居保育園の場所を探しに行きました。
海から1kmの場所に保育園がありました。(今は5km離れた山と山の間で再園されてます。)
うのすまい保育園 跡地2
うのすまい保育園 跡地3
小さな花壇が残っていて、そこからトマトが。
海水をかぶっているにもかかわらず、瓦礫の間から強く伸びてました。
子供達がここで植えたのか、わからないけど、小さな花壇の中に生命力を見たのと、ここで子供達が生活していたこと今は何もないけれど、その場所がとても愛おしく、その土地を離れなければいけないこと とてもつらく思いました。
鵜住居駅 ホーム

鵜住居駅


海から1kmの場所に保育園がありました


今回も坂尻さんが園まで届けてくださいました。感謝いたします。

僕は今、割烹着を縫っています。そのことをお話するとぜひ欲しいということ。
素人が一人で仕事の合間や夜にちょっとずつ縫っているため枚数的にも
数枚で手いっぱい。。現在縫製する方法を模索しています。なんとかクリスマスまでには。。

第二弾 完了しました。今回もいろんな方に助けて頂いて無事お届けすることができました。

◇お届けに関しては
 坂尻 様
石巻災害復興支援協議会 様
◇縫製に関しては
ラベンダーファーム 徳平様

◇パターン 副資材
クライムキ(株)様
(株)テラキ様

次は第三弾。まだ縫製してくださる方が見つかっておらずいろんなところに掛け合っています。

できるだけ早くいい形にできるよう努力してまいります。
皆様、これからもどうぞよろしくお願い致します。




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